本土では続々梅雨入りが発表されておりますが、一足お先に梅雨明けし夏本番が始まり毎日暑さと闘っております、沖縄第二支社の上原です。

来週6月23日は月曜日ですが、沖縄の学校は祝日です。
この日は沖縄にとっては大切な1日で、慰霊の日という独自の祝日となっております。
今年は戦後80年の節目の年という事もあり、テレビの特集や、天皇皇后両陛下が来沖いただいたり様々な催しが開催されています。

沖縄は、本土防衛の要として地上戦が繰り広げられた地です。
元々は琉球王国という独自の文化を持っていたこともあり、当時は方言を話すだけで防空壕から追い出されたり、手榴弾を持たされて周囲の人々といつでも自決するよう言われていたり…。
外に出ると遺体だらけの道なき道をただひたすらに歩き続けないといけなかったり、空襲があったりと、本当に地獄を絵にかいたような日々だったと言います。

私自身も、中学生の時に祖母に沖縄戦について聞いてみたことがありました。
祖父は兵士として中国に行っていたとは聞いたことがあったのですが、女学生だった祖母は家族と一緒に逃げながら、近くの防空壕(自然にある洞窟のような場所)で負傷兵の手当をしていたそうです。
アメリカ軍が火炎放射器で周りの草原を焼いている中で隠れたり、今を平和に生きる私たちには全く想像ができない事を話してくれました。
それでも、やはりあまり思い出したくない事だからか、それ以降話を聞くことは無かったです。

実際に今私たちが住んでいる地名を出されて話をされてもぜんぜん実感がわかない一方で、
今立っているこの場所がそういう土地だったんだと…。
観光客が連日のように訪れ賑わいを見せる沖縄で、そんな壮絶な地上戦が行われていたと思うととても胸が痛みます。

自分の未来に夢を描きながら、世の中の不条理のなかたくさんの命が失われた沖縄戦。
最近も当時の不発弾が見つかり、その処理をしている中で自衛隊員がけがをするという事故もありました。
未だに、戦後の負の遺産としての爪痕を多く残しているのが沖縄の現状なのだと感じさせられます。

先人たちが命を賭して後の世に生きる私たちのために作ってくれた平和をかみしめながら、この平和を私たちも後世につないでいかなければいけないと6月23日の慰霊の日を迎えると深く考えさせられます。

「命どぅ宝(ぬち どぅ たから)」
当時の沖縄の人々が口々に言っていた言葉を胸に、今日という1日1日を大切に…。

大切な命を、大切なものとして扱うことができる平和な日々が恒久に続く事を願って今回は少しまじめに書いてみました。

この時期に沖縄を訪れる際には、少しだけ先人たちの命と願いに想いを馳せてみてください。